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大坂夏の陣
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大坂夏の陣
大阪府
豊臣氏が滅亡し元和偃武が宣された戦国最後の決戦・真田幸村が家康本陣に突入した戦場
創建
1615
種別
史跡
アクセス
大阪府大阪市中央区大阪城
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基本情報
史跡
創建 1615
411年目
概要
1615年(慶長20年・元和元年)、徳川家康が豊臣秀頼の大坂城(現在の大阪府大阪市)を攻め、豊臣氏を滅ぼした戦い。冬の陣の講和で堀を埋められ無防備となった大坂城を家康は再び攻撃。道明寺・誉田・天王寺・岡山での激戦を経て豊臣軍は壊滅し、秀頼と母の淀殿は自刃して豊臣氏は滅亡した。真田幸村(信繁)は天王寺の戦いで徳川本陣に突入するほどの奮戦を見せたが戦死した。この戦いにより徳川の天下は盤石となり、元和偃武(戦の世の終わり)が宣言された。豊臣秀頼が自刃した山里丸跡などが現在の大阪城公園内に残る。
由緒
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で徳川家康と豊臣秀頼の対立は武力衝突に発展したが、講和により終結した。しかしこの講和条件として大坂城の外堀・内堀が埋め立てられ、城はほぼ無防備の状態となった。翌慶長20年・元和元年(1615年)、家康は再び豊臣氏討伐の兵を挙げ、大坂夏の陣が勃発した。5月6日の道明寺の戦いでは後藤基次(又兵衛)が戦死し、同日の誉田の戦いでも豊臣方は苦戦を強いられた。5月7日、天王寺・岡山口の決戦において豊臣軍は壊滅的な敗北を喫した。真田信繁(幸村)は天王寺口の戦いで徳川本陣に突入するほどの奮戦を演じたが、この戦いで討死した。大坂城が落城すると、豊臣秀頼と母・淀殿は山里丸におい…
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