真田幸村
真田幸村
日本一の兵・大坂方の英雄
1567-1615 · 享年 48歳
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ゆかりの地 32か所
へぇ、と思う三話
真田丸
大坂冬の陣(1614年)で大坂城の南に出城「真田丸」を築き、徳川軍に大損害を与えた。このNHK大河ドラマのタイトルにもなった防御施設は、信繁の軍事的才能の結晶。
「日本一の兵」
大坂夏の陣(1615年)で家康本陣に三度突入し、家康を自害寸前まで追い詰めた。討死した信繁を敵方の島津忠恒は「真田日本一の兵」と称えた。
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生い立ちから最期まで
戦国・安土桃山時代の武将。信濃国(現・長野県)の真田氏の二男として生まれ、本名は真田信繁。父・昌幸・兄・信之とともに武田氏滅亡後の信濃を生き抜き、父・昌幸の策謀で関ヶ原の戦い(1600年)前には東西両軍の板挟みとなった。第一次上田合戦(1585年)・第二次上田合戦(1600年)では父と共に徳川軍を撃退した。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、昌幸・信繁父子は九度山(現・和歌山県)に配流された。14年の配流生活ののち、大坂の陣(1614-1615年)で豊臣方に参加。冬の陣では「真田丸」という出城を築いて徳川軍を苦しめ、夏の陣では伊達政宗軍を撃破し家康本陣に肉薄するほどの大奮戦を見せたが、最後は壮絶な最期を遂げた。享年49歳。「日本一の兵」と称えた島津忠恒の言葉が後世に伝わる。
人物像
最後まで諦めない不屈の闘志と、義のために死を恐れない武士の覚悟を持つ。父・昌幸の影響で謀略にも長けるが、大坂の陣での戦いぶりは純粋な武人の美学の体現だった。豊臣家への忠義を最後まで貫いた。
歴史的意義
「真田丸」の戦略・大坂夏の陣での奮戦は後世の武士道の理想像として語り継がれた。NHK大河ドラマ「真田丸」(2016年)でも描かれ、現代日本でも最も人気の高い戦国武将の一人。大阪市天王寺区の三光神社・安居神社には幸村ゆかりの史跡が残る。
家系図
家系図
昌幸
表裏比興の者
信之
長男(松代藩祖)
幸村(信繁)
日本一の兵
関連する歴史的事件
1614
大坂冬の陣
1614年(慶長19年)、徳川家康が豊臣秀頼の籠る大坂城(現在の大阪府大阪市)を約20万の大軍で包囲した戦い。「方広寺鐘銘事件」を口実に始まったこの攻城戦では、真田幸村(信繁)が築いた「真田丸」が家康軍を苦しめた。最終的には外堀を埋める条件で和議が成立したが、家康は二の丸・三の丸の堀まで埋めさせ、翌年の夏の陣で豊臣氏を滅ぼす布石とした。幸村の奮戦は今も語り継がれ、大坂城は豊臣滅亡の地として多くの人が訪れる。
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