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石山本願寺跡
大阪府
信長を10年間最も苦しめた一向宗の難攻不落要塞寺院・跡地に秀吉が大坂城を築いた聖地
創建
1496 年
種別
史跡
参拝済
行きたい
アクセス
地下鉄谷町四丁目駅から徒歩15分
大阪府大阪市中央区大阪城(大阪城公園内)
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基本情報
史跡
創建 1496
530年目
概要
戦国時代最強の宗教勢力・一向宗の本拠地。蓮如が明応5年(1496年)に創建した大坂御坊を起源とし、顕如の代には「石山御坊」として全国の門徒を統率する巨大要塞寺院となった。織田信長との石山合戦(1570-1580)で10年にわたり抗戦し、信長の天下統一を最も長く阻んだ「第六天魔王の宿敵」として知られる。天正8年(1580年)の講和後、顕如は自ら火を放って退去した。跡地には豊臣秀吉が天正11年(1583年)から大坂城を築城。現在の大阪城公園内に当時を偲ぶ碑がある。雑賀衆の鉄砲隊が籠城戦を支え、加賀一向一揆や長島一向一揆と連動した全国的な宗教戦争の中心地でもあった。上町台地の北端に位置し、淀川と大和川に挟まれた天然の要害を活かした立地が難攻不落を可能にした。石山合戦は日本史上最長の籠城戦の一つに数えられる。信長が最も手を焼いた相手は武田でも上杉でもなく、この本願寺であったと評される。
由緒
明応5年(1496年)、蓮如が隠居の地として大坂の上町台地北端に大坂御坊(石山御坊)を創建。これが石山本願寺の起源となった。大永5年(1525年)頃、本願寺の本拠は山科本願寺にあったが、天文元年(1532年)の山科焼き討ちを受けて10世証如の代に石山へ本拠が移された。11世顕如の代には全国の一向宗門徒を統率する巨大要塞寺院へと発展し、堀と土塁で囲まれた寺内町は数万の人口を擁した。元亀元年(1570年)、信長の退去要求に対し顕如は諸国の門徒に蜂起を呼びかけて挙兵、ここに10年におよぶ石山合戦が始まる。雑賀衆の鉄砲隊や毛利水軍の兵糧援助を受けて抗戦を続けたが、第二次木津川口の戦いでの敗北と包囲網の…
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1

1570 年
石山合戦
1570年から1580年までの10年間続いた、織田信長と石山本願寺(顕如)の戦争。信長の天下統一事業の中で最も長く抵抗した勢力であった。大坂湾に面した石山本願寺(現在の大阪城の位置)は要害堅固な城塞と化し、毛利氏の海上補給、雑賀衆の鉄砲、全国の本願寺門徒の結束を背景に、信長軍を10年にわたり苦しめ続けた。1576年の第一次木津川口の戦いでは毛利水軍・雑賀衆が織田水軍を大破。1578年の第二次木津川口では九鬼嘉隆の鉄甲船により形勢逆転したが、なお本願寺は持ちこたえた。最終的に1580年、正親町天皇の勅命による和睦で終結し、顕如は石山を退去した。しかし長男・教如は徹底抗戦を主張し父と袂を分かつ。この家族内対立は、後の1602年の東西本願寺分裂に繋がる伏線となった。
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