沖端は柳川城下の漁師町として発展し、水難は日常の脅威であった。この地には立花宗茂ゆかりの稲荷神社と、文化年間(1804〜1818年)創祀の弥剣神社(祇園社)が並び立っていたが、明治2年(1869年)に久留米水天宮の分霊を勧請・合祀して「水天宮」として再出発した。久留米水天宮は壇ノ浦で入水した安徳天皇らを祀る霊社で、水難除け・安産・子育ての信仰が全国に広まった。沖端の舟人・漁師たちはこの水の守護神を篤く崇敬し、詩人・北原白秋も沖端の酒造家に生まれ幼少より祭礼に親しんだ。5月3〜5日の大祭では6隻の舟をつないだ舟舞台「三神丸」が三日三晩、堀割を巡りながら水天宮囃子と芝居を奉納する。