下京区中堂寺西寺町に位置する長圓寺は、洛陽三十三所観音霊場第24番札所として知られる浄土宗の寺院である。山号は延命山。観音堂に安置される聖観音菩薩像は、平安時代に一条天皇の御代に宮中で大流行した疱瘡(天然痘)を鎮めるために造立されたと伝わり、比叡山で長く守られてきた由緒ある像である。慶長13年(1608年)、江戸幕府初代京都所司代・板倉勝重が約800坪の土地を寄進して本堂を建立し、慈覚大師円仁が彫ったと伝える阿弥陀三尊像も奉納した。勝重の死後、その院号「長圓院」にちなんで寺名を「長圓寺」と改めた。天明8年(1788年)の大火で伽藍を失いながらも再興を遂げ、2体の本尊像は両度の火災から守り抜かれている。
一条天皇(在位986〜1011年)の御代、宮中で疱瘡が大流行した際、大納言・藤原親衡が恵心僧都源信に命じて聖観音菩薩像を彫らせ、宮中で21日間の祈祷を行ったところ疫病が収まったと伝わる。この観音像はその後比叡山延暦寺に移され、天正15年(1587年)に浄阿清巌上人が清水寺観音からの霊告を受けてこの地に観音堂を建立、像を遷して祀った。慶長13年(1608年)、初代京都所司代・板倉勝重が800坪余の土地を寄進するとともに、慈覚大師円仁作と伝える阿弥陀三尊像を奉納して本堂を建立し、寺院としての体裁が整った。勝重没後は院号「長圓院」から「長圓寺」と改称。天明8年(1788年)の天明の大火で伽藍を焼失し…