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PERSON
上杉謙信
上杉謙信
越後の龍・義の武将
1530-1578 · 享年 48歳
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生涯
1530年、越後国春日山城で長尾為景の四男として生まれ、幼名を虎千代と称した。幼少期に林泉寺で学問・禅を修め、深い信仰心と文武の素養を身につけた。1548年に病弱な兄・晴景から家督を譲られ、長尾景虎と名乗って越後国内の反乱を次々に鎮圧し、国をまとめ上げた。北信濃の国人領主たちが武田信玄の侵攻に苦しみ助けを求めると、義侠心から出陣。川中島(長野市)で1553年から1564年の間に計5度の合戦を繰り広げた。1561年には関東管領・山内上杉家の上杉憲政から関東管領職と上杉姓を譲られ、上杉政虎(後に謙信)と名乗った。毘沙門天への篤い信仰を持ち「毘」の一字の旗印を掲げ、義のために戦うとして「義の武将」と称された。私利私欲なく戦うとして諸国から慕われ、北条・武田から助けを求める勢力の援護を引き受けた。1570年代には北陸に勢力を伸ばし加賀・能登・越中をほぼ制圧。1578年、上洛・織田打倒の直前に春日山城で急死した。享年49歳。死の直前まで勝利を続けていた最強の武将の一人。
人物像
義と信仰を何より重んじる潔癖な武将。私利私欲より正義のために戦うという理念を持ち、塩不足で苦しむ武田領民に塩を送ったという「敵に塩を送る」の故事で知られる。生涯不犯(性的禁欲)を誓い毘沙門天の化身と自ら称した。謙信の書状は現在も史料として高く評価される。
歴史的意義
「敵に塩を送る」という故事は現在も美談として語り継がれ、敵対する者にも人道的に接することの大切さを伝える。上杉氏は謙信の死後も米沢藩として続き、上杉鷹山の名君政治へと繋がった。義を重んじた生き方は後世の武士道に大きな影響を与え、現在も多くの人々の尊敬を集める。
辞世の句
辞 世 の 句
四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒
逸話・エピソード
敵に塩を送る
宿敵・武田信玄の領国が塩不足に陥ると、敵にも塩を送った。「戦は弓矢で行うもの、米塩をもって行うものではない」。
名言
辞世
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」
「敵に塩を送る」
関連する歴史的事件
1553
川中島の戦い
天文22年(1553年)から永禄7年(1564年)までの12年間に、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が信濃北部の川中島(現在の長野市南郊、犀川と千曲川の合流点)を主戦場として繰り広げた全5回の合戦。両雄の激闘は日本戦史のみならず文学・講談の世界でも長く語り継がれている。武田氏の信濃侵攻に抵抗する高梨政頼ら北信濃の国人衆を謙信が庇護したことが発端。とりわけ永禄4年(1561年)9月の第四次合戦が最も激烈で、謙信が「車懸りの陣」で武田本陣に突入し、単騎で信玄に斬りかかったという「三太刀七太刀」の逸話が生まれた。この戦いで武田軍は信玄の弟・典厩信繁、軍師・山本勘助ら重臣を失う大損害を被ったが、最終的に武田が戦略的に信濃を確保した。両軍とも決定的勝利を得られなかったものの、謙信が「義」を重んじ信玄に塩を送った「敵に塩を送る」故事や、両雄の一騎打ちなど、日本人の英雄観を象徴する数々の物語を生んだ戦いである。
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ゆかりの地 — 14
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