大同2年(807)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の折に勧請したと伝わり、古くは「飛龍宮」と称して神仏習合の形態をとっていた。十一面観世音菩薩を本尊とする津軽三十三観音霊場の第八番札所として広く信仰を集め、天明5年(1785)に津軽を旅した紀行家・菅江真澄もその記録にこの地の観音を書き留めている。明治初年の神仏分離令により飛龍宮から「高倉神社」へと改称され、本尊の観音像はいったん赤石の松源寺へ移されたが、のちに信者の手で境内に戻され第八番霊場は再興された。主祭神は高皇産霊命で、杉木立に包まれた境内は往時の面影を今に伝えている。