spot/[id]

ホーム
>
都道府県から探す
>
愛知県
>
新城市
>
JR飯田線三河東郷駅
>
設楽原古戦場
[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
設楽原古戦場
愛知県
天正3年(1575年)…
創建
1575
種別
史跡
アクセス
JR飯田線三河東郷駅から徒歩20分
愛知県新城市竹広字信玄原552
Google Map で開く ↗
基本情報
史跡
創建 1575
451年目
概要
天正3年(1575年)、織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の騎馬隊を鉄砲で壊滅させた「長篠・設楽原の戦い」の舞台。 信長が構築した馬防柵の復元や、武田方の武将の墓碑が点在する。 設楽原歴史資料館では合戦の詳細な解説と火縄銃の実物を展示。 連吾川沿いの戦場跡地は、当時の地形がほぼそのまま残されている。 馬場信春・山県昌景・内藤昌豊ら武田の名将たちの墓碑が点在し、敗者への敬意を感じる。 毎年7月には「長篠合戦のぼりまつり」が開催され、数千本の旗が戦場を彩る。 鉄砲の三段撃ちの真偽は学術的議論が続くが、火力が騎馬戦術を制した画期的な戦いであることは間違いない。 長篠城跡から車で約10分の距離にあり、セットで訪れると合戦の全体像が見える。 家康が本陣を置いた場所には石碑が建ち、当時の陣形を想像できる。 戦国時代の戦術革新を体感できる、歴史ファン必訪の古戦場。
由緒
天正3年(1575年)6月28日、長篠城の救援に向かった織田・徳川連合軍3万8千と、武田勝頼率いる1万5千が激突した。 信長は連吾川の背後に馬防柵を構築し、火縄銃の射撃で武田騎馬隊を迎え撃つ戦術を立案。 武田軍は早朝から騎馬突撃を繰り返したが、鉄砲と槍兵の前に次々と倒れた。 酒井忠次の別働隊が背後の武田軍を強襲し、退路を断った。 約1万の武田兵が討たれ、馬場信春・山県昌景・内藤昌豊・真田兄弟ら名将が戦死。 この戦いは日本の戦術史における転換点として位置づけられている。 武田家はこの敗北から立ち直ることができず、7年後に滅亡した。 現在は国の史跡に指定され、古戦場公園として整備されている。 設楽…
もっと読む

関連する歴史的事件
1

1575
長篠の戦い
1575年(天正3年)、愛知県新城市の設楽原において、織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼率いる武田軍を撃破した戦い。信長は三千挺ともいわれる鉄砲を有効活用した三段撃ちの戦術を駆使し、武田の精鋭騎馬隊を壊滅させた。この戦いは鉄砲による集団戦法が騎馬戦術を凌駕した画期的な合戦として近世軍事史の転換点とされる。武田方は山県昌景・馬場信春・内藤昌豊ら錚々たる将を失い、武田氏衰退の決定的な契機となった。長篠城址・設楽原決戦場跡は現在も保存されている。
もっと詳しく →
みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
情報を提案する
位置のずれ / 由緒 / 参拝時間 / アクセス / 設備 / 注意事項 などを提案できます
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード