天正3年(1575年)5月、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との間で「長篠・設楽原の戦い」が繰り広げられた主戦場が、現在の愛知県新城市竹広一帯に広がる設楽原である。連合軍は馬防柵を築いてこの地に陣を敷き、約3,000挺の鉄砲を活用した組織的な射撃戦術を用いて武田の精鋭騎馬軍団を迎え撃ったとされる。この戦いで武田軍は山県昌景・馬場信春・内藤昌豊ら重臣多数を失い壊滅的な打撃を受け、戦国最強と称された武田軍団の凋落を決定づけた。以後、鉄砲の集団運用が戦国合戦の様相を一変させる契機となったとして、日本史上の転換点に位置づけられる。近代以降、合戦の舞台となった地域は整備が進み、昭和52年(1977年…