寛弘年間(1004-1012年)、河内源氏の祖・源頼信が霞ヶ関の辺りに創建したと伝わる古社。その後、太田道灌が江戸城築城に際して現在の虎ノ門の地に遷座した。祭神は品陀和気命(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・帯中日子命(仲哀天皇)の三柱。元は天台宗寛永寺末の「八幡山普門院」として神仏習合の形態をとっていたが、明治の神仏分離で寺院は廃され純然たる神社となった。関ヶ原の戦いに際し、徳川秀忠の正室・崇源院(お江)が戦勝を祈願し、後に社殿を造営したとの伝承もある。昭和20年の東京大空襲で焼失したが昭和28年に総檜造りで復興。虎ノ門ヒルズを背に鎮座する姿は江戸と現代の対比を際立たせる。境内には縄文時代の西久保八幡貝塚が発見されており、東京都指定史跡に指定されている。
寛弘年間(1004〜1012年)、河内源氏の祖・源頼信が現在の霞ヶ関付近に八幡神を勧請して創建したと伝わる。その後、15世紀後半に太田道灌が江戸城を築城するにあたり、現在の虎ノ門の地へ遷座させたとされる。江戸時代には天台宗寛永寺末の「八幡山普門院」として神仏習合の形態をとり、武家・庶民双方の信仰を集めた。関ヶ原の戦い(1600年)の際には、徳川秀忠の正室・崇源院(お江)が当社で戦勝祈願を行い、後に社殿を造営したとの伝承が残る。1868年の明治維新後、神仏分離令により寺院部分は廃され、純然たる神社として再出発した。1945年(昭和20年)の東京大空襲により社殿は焼失したが、1953年(昭和28年…