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北条政子の墓(寿福寺)
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北条政子の墓(寿福寺)
神奈川県
「尼将軍」北条政子と源実朝が並び眠る寿福寺裏山のやぐら
創建
1225
種別
史跡
アクセス
JR鎌倉駅西口から徒歩15分
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7(寿福寺境内奥)
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基本情報
史跡
創建 1225
801年目
概要
寿福寺境内の裏山に切り開かれた岩窟墓(やぐら)で、北条政子と三代将軍・源実朝が並んで眠る。嘉禄元年(1225年)に69歳で没した政子の墓は、自ら創建した寿福寺の最も奥深い場所にある。伊豆の豪族の娘から「尼将軍」と称されるまでに至った政子の波乱の生涯の終着点。国指定史跡の寿福寺境内にあり、鎌倉幕府の歴史を深く感じられる史跡として多くの参拝者が訪れる。実朝の歌碑も近くに残されており、親子二人が並び眠る安息の地である。
由緒
北条政子(1157〜1225年)は源頼朝の妻として鎌倉幕府の基盤を支え、頼朝没後は尼将軍と称されて幕政の実権を握った。政子は夫・頼朝の菩提を弔うため、建久6年(1195年)頃に臨済宗の高僧・栄西を開山として寿福寺を創建したとされる。嘉禄元年(1225年)、政子は69歳で没し、自ら創建した寿福寺の裏山に葬られた。墓所は鎌倉特有の横穴式岩窟墓「やぐら」の形式をとり、隣には建保7年(1219年)に暗殺された三代将軍・源実朝のやぐらも並ぶ。中世を通じて寿福寺は北条氏ゆかりの寺として鎌倉で重きをなしたが、幾度かの兵火により諸堂は焼失した。江戸時代には再建・整備が進められ、境内の形が整えられたとされる。明…
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