刈谷城は天文2年(1533年)、三河の武将・水野忠政によって築かれた。城地が亀の形に似ていたことから「亀城(きじょう)」と称されたと伝わる。水野氏は三河における有力な国人領主であり、忠政の娘・於大の方は後に徳川家康を産んだことで知られる。天文11年(1542年)に於大の方が松平広忠に嫁いだことで、刈谷城は徳川氏との歴史的な縁を持つ地となった。戦国時代には織田・今川両勢力の狭間に置かれ、水野氏はたびたび去就を変えながら城を維持した。江戸時代には徳川譜代の大名が城主を務め、土井氏・稲垣氏・本多氏らが入封したと伝わる。明治維新後の廃城令により城郭建築は解体・撤去され、以降は城跡として管理されるように…