永正元年(1504年)、日受上人によって大本山本圀寺の塔頭として開かれた。本圀寺は日蓮の直弟子・日朗を開山とし、室町幕府の庇護を受けて「西の祖山」と称された日蓮宗の名刹である。永禄11年(1568年)、織田信長に擁立された15代将軍・足利義昭が本圀寺を仮御所(六条御所)として用い、翌年の本圀寺の変(1569年)では三好三人衆らの急襲を受けたが信長の急行によって撃退された。昭和44年(1969年)に本圀寺の本坊が山科区へ移転した後も、智了院は他の塔頭とともに旧境内である下京区猪熊通五条に残り、470年以上にわたる法灯を今に伝えている。