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PERSON
毛利元就
毛利元就
三矢の訓・中国地方の覇者
1497-1571 · 享年 74歳
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生涯
戦国時代の大名。安芸国吉田郡山城(現・広島県安芸高田市)を本拠とする毛利氏の当主。幼少時に父・弘元を失い、兄・興元の死後に家督を継いだ。謀略・外交・戦略を駆使して勢力を拡大し、1540年の郡山城の戦いで大内義隆の援軍を得て出雲の尼子晴久を撃退。1555年の厳島の戦いでは、陶晴賢(大内家の実権を握った武将)の大軍を地形と潮流を利用した奇策で壊滅させ、戦国史上屈指の名将として名声を確立した。その後、大内氏の旧領を吸収しながら中国地方のほぼ全域を制圧した。三男への遺訓「三矢の訓」(一本の矢は折れやすいが三本束ねると折れない)は毛利家の団結を象徴するエピソードとして広く知られる。75歳で没。
人物像
冷徹な知略家でありながら家族への深い愛情を持つ人物。「謀略の申し子」とも評されるほど巧みに敵味方を操り、しかし息子たちへの家訓・書状には人間的な温かさが滲む。長寿を全うし生涯現役だった。
歴史的意義
毛利氏を戦国大名として大成させた中興の祖。厳島の戦いは奇略の名戦として今も語り継がれる。三矢の訓は現代でも団結・協力の教訓として引用され、広島県の象徴的な人物の一人。
逸話・エピソード
厳島の戦い——地形と潮を読んだ奇跡の逆転勝利
1555年、毛利元就は大内氏の実権を握った陸戦の猛将・陸晴賢(すえはるかた)の大軍を、厳島(宮島)に誘い込んだ。元就は嵐が来る夜を選び、潮流・風向きを読んだうえで奇襲を仕掛けた。陸晴賢軍は島という地形の不利のなかで壊滅し、陸晴賢も自害に追い込まれた。小勢で大軍を破るこの勝利は「日本三大奇襲合戦」の一つとされ、元就の戦略的知性の象徴となった。
名言
「百万一心」
辞世
「百年の 夢もつかの間 過ぎにけり 秋の光に 消ゆる白露」
「三本の矢の教え — 一本の矢は折れやすいが、三本束ねれば折れぬ」
関連する歴史的事件
1555
厳島の戦い
1555年10月、安芸国厳島(現在の広島県廿日市市宮島)で毛利元就が大内氏の実権を握った陶晴賢を奇襲して滅ぼした合戦。陶晴賢は二万余の大軍で厳島に渡ったが、毛利元就は約四千の兵で嵐の夜を利用した奇襲作戦を敢行。厳島神社を擁する宮島の複雑な地形を熟知した元就軍が四方から包囲し、陶晴賢は敗れて自害した。「日本三大奇襲」の一つとして名高いこの合戦で毛利氏は中国地方の覇者への道を開いた。元就の緻密な計略と胆力が際立つ戦国史上屈指の奇襲戦として高く評価されている。
ゆかりの地 — 6
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