淀古城は室町時代から戦国期にかけて、木津・桂・宇治の三川合流点北岸という要衝に築かれた城で、たびたび戦乱の舞台となったと伝わる。天正17年(1589年)、豊臣秀長がこの城を改修し、兄・秀吉の側室であった茶々(淀殿)の産所として与えた。茶々はここで秀吉の長男・鶴松を出産し、以後「淀殿」と呼ばれるようになったとされる。文禄3年(1594年)、秀吉が伏見城の築城を本格化させると淀古城はその役割を終えて廃城になったと伝わる。江戸時代に入り、徳川秀忠の命で松平定綱が別の場所(淀城跡公園付近)に新たな淀城を築いたため、両者を区別して「淀古城」と呼ばれるようになった。