社伝によれば、大己貴命(大国主命)が御子神である事代主命・建御名方命を従えて国土経営のため各地を巡っていた折、小野の里・彌比古澤(やひこざわ)の地に鎮座したのが始まりと伝わる。欽明天皇の御代(6世紀半ば)には、大己貴命・事代主命を正殿に、建御名方命・八坂刀売命を副殿に祀る形が整えられ、矢彦神社としての祭祀が確立したとされる。かつては隣接する小野神社と一体の社であったが、松本城主・石川数正と飯田城主・毛利秀頼との間で小野盆地の領地争いが起こり、天正19年(1591年)、豊臣秀吉の裁定によって盆地を流れる唐沢川を境に筑摩郡北小野村と伊那郡南小野村に分村。神社の境内もこれに伴って分割され、今日も同じ…