築城は南北朝時代とされ、今川氏の支城として機能した。
永禄12年(1569年)、武田信玄が攻略を試みたが断念。
天正2年(1574年)、武田勝頼が大軍で攻め落とし、東海地方進出の拠点とした。
天正9年(1581年)、家康は横須賀城など5つの砦を周囲に築き、兵糧攻めで奪還。
城将・岡部元信は救援を求めたが勝頼は動けず、飢えた城兵は討って出て壮絶な最期を遂げた。
この時、自軍の家臣を救えなかった勝頼は武田家中の信頼を決定的に失った。
この高天神城の失陥が武田家滅亡の直接的引き金となったとされる。
江戸時代には廃城となり、山林に埋もれた。
昭和50年代から発掘調査が進み、国の史跡に指定された。
現在…