大阪市東淀川区東中島に所在する曹洞宗の寺院。山号は鳳栖山、本尊は釈迦如来。社伝では天平年間(729-749年)に行基が創建したと伝わり、当初は法相宗であった。嘉吉元年(1441年)の「嘉吉の乱」で播磨守護・赤松満祐に暗殺された室町幕府6代将軍・足利義教の首級がこの地に放置されたことをきっかけに、翌嘉吉2年(1442年)7代将軍・足利義勝の命を受けた細川持賢が義教の菩提寺として大伽藍を整備、曹洞宗に改められた。境内には「足利義教首塚」「細川ガラシャの墓」「遠城兄弟の墓」が並ぶ、全国的にも稀有な将軍・キリシタン女性・仇討ち史跡の三重に折り重なる歴史寺院。細川ガラシャは慶長5年(1600年)関ヶ原直前、石田三成の人質化を拒否して大坂玉造の細川屋敷で自害し、宣教師オルガンチノが遺骨を当寺に納めたとされる。境内は弥生時代の土器・銅鐸が出土した「崇禅寺遺跡」でもあり、古代から近世までの時層が重なる。J…
社伝では天平年間(729-749年)に行基が創建したと伝わる。当初は法相宗であった。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で赤松満祐に暗殺された室町6代将軍・足利義教の首級が当地に放置されたことを機に、嘉吉2年(1442年)細川持賢が将軍義勝の命で大伽藍を再興、曹洞宗に改めた。慶長5年(1600年)関ヶ原直前、細川忠興の正室・ガラシャ(明智玉)が石田三成の人質化を拒否して大坂玉造の細川屋敷で壮絶な最期を遂げ、宣教師オルガンチノが焼け跡から遺骨を探して当寺に納めたと伝わる。正徳5年(1715年)には境内の馬場で遠城兄弟の仇討ちが起こり、その墓も境内に残る。明治期には一時摂津県庁が置かれたこともある。1…