7世紀半ば、朝鮮半島では唐・新羅連合軍が百済を滅ぼし(660年)、倭国は百済復興を支援するため大軍を派遣したが、663年の白村江の戦いで壊滅的な敗北を喫した。唐・新羅による日本侵攻を恐れた大和朝廷は、664年に水城、665年に大野城・基肄城を相次いで築造し、亡命してきた百済の貴族・技術者の指導のもとで大宰府防衛の要とした。大野城は四王寺山全域に及ぶ広大な城域を持ち、774年には山中に護国を祈願する四天王寺(四王院)が建立されたと伝わり、これにより山名も四王寺山と呼ばれるようになった。1932年に国史跡、1953年に特別史跡へ格上げされ、2012年には四王寺山全域を対象に指定範囲が拡大された。