白鳳年間(7世紀後半)、役行者(役小角)が山上ヶ岳に登頂し、金剛蔵王権現を感得して大峯山寺を開いたと伝わる。奈良時代には修験道の根本道場として体系が整えられ、平安時代には空海・円珍らも修行に訪れたとされる。12世紀には熊野・吉野を結ぶ大峯奥駈道が確立され、貴族から庶民まで広く参詣を集めた。鎌倉・室町時代を通じて修験道が全国へ普及する中、当山はその聖地として権威を保ち続けた。江戸時代には幕府の寺社統制のもと、天台・真言両宗の管轄を経て当山派修験道の拠点となった。明治初年の神仏分離令・修験道廃止令(1872年)により一時廃絶の危機に瀕したが、信者の尽力により法灯は維持された。1936年に国の史跡に…