長篠城は、永正5年(1508年)に菅沼元成によって豊川と宇連川の合流する断崖上に築かれたと伝わる山城である。地形そのものを巧みに利用した天然の要害として、戦国期を通じて三河東部の要衝となった。永禄年間には今川氏・武田氏・徳川氏の勢力争いに巻き込まれ、城主が幾度か交代した。天正3年(1575年)、武田勝頼率いる約1万5千の大軍が城を包囲した際、城将・奥平信昌はわずか500名の兵で約15日間にわたる籠城を敢行した。この際、鳥居強右衛門が城を脱出して徳川・織田連合軍に救援を求めたが、帰途に武田勢に捕らえられ、「援軍来たる」と味方に叫んで処刑されたという忠義の逸話が今に語り継がれる。同年5月21日、設…