創祀の年代は定かでないが、平安時代の史書『日本三代実録』には、貞観3年(861年)に相殿神・国業比売神へ従五位下の神階が授けられたこと、貞観8年(866年)には信濃国水内郡の三和神・神部神が祟りをなし兵乱や疫病をもたらすとして、朝廷が国司や講師に経典読誦を命じて神の怒りを鎮めさせたことが記されており、平安期にはすでに朝廷から重んじられる神社であったことがうかがえる。10世紀の『延喜式』神名帳では信濃国水内郡九座の筆頭に記載された式内社で、湯福神社・武井神社・妻科神社とともに「善光寺四鎮守」(善光寺七社の中核)の一社に数えられる。『善光寺縁起』には、大和国三輪出身の三輪時丸なる人物が善光寺参詣の…