延長5年(927)成立の『延喜式神名帳』に記された陸奥国標葉郡の式内社で、日本武尊が東国平定の際に祭神を勧請したと伝わる。応永2年(1395)に旧社地の中の郷北原邑から現在の小高区大井邑へ遷座し、江戸時代には宇多・行方・標葉の三郡を管轄する総社として歴代相馬藩主から篤い崇敬を受けた。古来は「甲子大宮大明神」「甲子大国社」と称し、武道・五穀・養蚕の守護神として信仰を集め、東北唯一の甲子大国社として各地から甲子講の参拝者が訪れた。文政年間(1818〜1830)に現社号「益多嶺神社」に改められ、現在に至る。