応永元年(1394年)、傑堂能勝を開基、その師である梅山聞本を開山として創建されたと伝わる曹洞宗の名刹。種月寺・雲洞庵・慈光寺と並ぶ「越後四箇道場」の一つに数えられ、最盛期には末寺約80、孫末寺を含めると約800を数える大寺院となった。江戸時代には歴代村上藩主から寺領150石を寄進され、10万石格の待遇を受けたと伝わる。明治19年(1886年)の火災で伽藍の多くを焼失したが、元禄15年(1702年)建立の鐘楼が焼け残り、現在は山門として用いられている。この鐘楼は村上市内に現存する建造物としては西奈彌羽黒神社本殿に次いで古いとされる。