崇神天皇の御代に創建されたと伝わる古社。平安中期の天暦年間(947〜957年ごろ)、修験僧・性空が霧島山中で修行を積み、霧島六社権現の信仰体系を整備したことで、当社もその霊場の一角として中興された。以来、別当院として天台宗系の錫杖院が置かれ、神仏習合の修験道場として発展。高千穂峰山頂を飛地境内として管轄し、山頂に立つ天之逆鉾(あめのぬぼこ)を社宝として守護してきた。霧島神宮が「西霧島宮」と呼ばれるのに対し、当社は「東霧島宮」の別称で知られた。境内に伝わる祓川神楽は狭野神楽とともに「髙原の神舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。