地名「城輪」を手がかりに遺跡の存在が推測されていたが、昭和6年(1931年)に文部省嘱託・上田三平らの発掘調査で、一辺約720メートルの方形に外郭築地塀がめぐる城柵であることが確認された。昭和7年(1932年)4月25日に国の史跡に指定され、昭和56年(1981年)に追加指定を受けた。その後の調査で、中心の政庁跡は掘立柱建物から礎石建物へと複数の時期にわたり建て替えられたことが判明している。奈良時代末から平安時代にかけての出羽国府または有力な官衙の所在地と考えられ、江戸時代以来その性格をめぐって諸説が唱えられてきた。