基肄城は、大宰府の北を守る大野城と対を成す南の防衛拠点として、665年(天智天皇4年)に築かれた。『日本書紀』には大野城とともに築城されたことが記されており、前年664年に築かれた水城とあわせ、大宰府を三重に守る古代の防衛ラインを形成した。築城には百済滅亡(660年)後に倭国へ亡命した百済の貴族・技術者が携わったとされる。城内には城門跡や約40棟の礎石建物跡、水口を備えた水門跡が残り、同一の石垣面に4基以上の排水施設を持つ例は国内で基肄城のみとされるなど、高い水利技術がうかがえる。1954年に国の特別史跡「基肄(椽)城跡」に指定され、大野城跡とともに古代大宰府防衛の全体像を伝える重要な遺跡群と…