天和2年(1682年)、水戸藩の附家老・中山信治が先代の菩提を弔うために、もと同市全隈町にあった普門寺を移して創建したと伝わる。信治の主君である水戸藩2代藩主・徳川光圀はこの寺を「保和院」と名付け、隣接する庭園も自ら「保和園」と命名したという。宝暦5年(1755年)に戒律復興が認められて仁和寺の末寺となった際、寺号を現在の「桂岸寺」に改めた。本尊は行基作と伝わる勢至菩薩像で、南北朝期の武将・佐竹貞義の念持仏であったとも伝わる。月待信仰にちなみ「二十三夜尊」の通称でも親しまれてきた。庭園の保和苑は昭和25年(1950年)に水戸市へ寄贈され、現在は市営の日本庭園として市民に開放されている。