日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰路に能褒野で没した際、残された笠と杖を御神体として祀ることに由来する古社。境内には尊の陵墓と伝わる白鳥塚古墳が隣接する。延喜式神名帳(927年)所載の式内社「倭文神社」の論社でもあり、弘治元年(1555年)に倭文神社を合殿に奉斎した。江戸時代には「御笠殿社」と呼ばれ、国学者・平田篤胤が文政12年(1829年)に「御笠殿社由来記」を著し腫物平癒の霊験を記した。明治6年(1873年)に加佐登神社と改称し、明治41年(1908年)に周辺16社を合祀した。紫ツツジの名所としても知られる。