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鎌倉宮
神奈川県
倒幕に命を懸け土牢で斬られた護良親王を祀る勅祭社——明治天皇が建武の忠臣を顕彰するために明治2年に創建した大塔宮の社
創建
1869 年
種別
神社
参拝済
行きたい
アクセス
江ノ電鎌倉駅・JR鎌倉駅からバス「大塔宮」行き終点下車すぐ(約10分)、または鎌倉駅から徒歩約25分
神奈川県鎌倉市二階堂1175
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基本情報
神社
創建 1869
157年目
御祭神・御本尊
護良親王
大塔宮
概要
神奈川県鎌倉市二階堂1175に鎮座する神社で、後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう、1308〜1335年)を祭神とする。「大塔宮(だいとうのみや)」とも呼ばれ、明治2年(1869年)に明治天皇の勅命によって護良親王が幽閉・殺害された東光寺の旧址に創建された。 護良親王は延慶元年(1308年)に後醍醐天皇の第三皇子として生まれ、20歳で天台座主に就任。元弘元年(1331年)に還俗して倒幕運動に身を投じ、吉野・熊野の山中でゲリラ戦を展開しながら約60通の令旨を発して楠木正成・新田義貞ら全国の武士を蜂起させた。鎌倉幕府滅亡後は建武の新政下で征夷大将軍に任じられたが、足利尊氏との激しい対立の末に後醍醐天皇自らの命により逮捕され、建武元年(1334年)末に鎌倉の土牢へ幽閉された。 建武2年(1335年)7月、中先代の乱の混乱の中で足利直義の命により淵辺義博に殺害された。享年28歳。土牢に…
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由緒
護良親王は延慶元年(1308年)、後醍醐天皇の第三皇子として生まれた。幼少より仏門に入り「尊雲法親王」と称し、嘉暦2年(1327年)にはわずか20歳で天台座主に就任した。 元弘元年(1331年)、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を図った元弘の乱が発覚すると、護良親王は比叡山を逃れ、十津川(奈良県)で還俗して「護良親王」と名乗り倒幕運動に身を投じた。吉野・熊野・南伊勢の山岳地帯を転戦しながら令旨を全国に発し、楠木正成・新田義貞ら約60の武将・国人を蜂起させ、鎌倉幕府滅亡(元弘3年=1333年)の遠因を作った。 幕府滅亡直後の元弘3年(1333年)6月13日に征夷大将軍に任命されたが、足利尊氏の勢力拡…
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ゆかりの人物
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北条時行
高時の遺児・中先代の乱
創建時 544歳(没後)
建武2年(1335年)7月、北条高時の遺子・北条時行(?-1353年)は信濃の諏訪頼重らに擁されて挙兵し「中先代の乱」を起こした。時行軍が鎌倉に迫ると、鎌倉を守備していた足利直義は、幽閉中の護良親王が時行に担ぎ出されることを恐れ、家臣・淵辺義博に親王の殺害を命じた。皮肉にも、時行の鎌倉奪還の前進が護良親王の命を奪う直接の引き金となった。時行は一時鎌倉を奪還するも足利尊氏によって2週間ほどで駆逐され、以後南朝方として各地で挙兵を続けながら最後まで北条再興を諦めなかった。
護良親王
後醍醐天皇の皇子・鎌倉宮祭神
創建時 561歳(没後)
鎌倉宮は護良親王が幽閉され殺害された東光寺旧址に、明治天皇の勅命によって明治2年(1869年)に創建された護良親王専祭の神社である。親王はこの地の土牢に約9ヶ月以上幽閉された後、建武2年(1335年)7月23日に足利直義の命により殺害された。刃先を歯で噛み折った壮絶な最期(『太平記』)とともに、全国に令旨を発して鎌倉幕府打倒を指揮した倒幕運動の主役として、この社に永遠に祀られている。社殿背後の土牢跡は現存し、宝物殿には親王ゆかりの令旨・馬上像を収蔵する。
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