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屋島古戦場
香川県
1185年・義経の奇襲で平家が敗走し那須与一が扇を射た源平合戦の舞台
創建
1185 年
種別
史跡
参拝済
行きたい
アクセス
ことでん琴電屋島駅からシャトルバスまたは徒歩40分
香川県高松市屋島東町屋島山上
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基本情報
史跡
創建 1185
841年目
概要
元暦2年(1185年)の源平合戦「屋島の戦い」の舞台となった瀬戸内の台地。源義経が率いる源氏軍が平家の水軍を破った古戦場で、那須与一が平家の船上の扇を弓矢で見事射抜いた「扇の的」の名場面が生まれた伝説の地として名高い。屋島は海上交通の要衝として平家が陣地を構えた戦略的要地で、戦いの後に平家は壇ノ浦へ向けて敗走した。現在は源平合戦の像・パノラマ展望台が整備され歴史ファンが多く訪れる。屋島の溶岩台地からは高松市街・瀬戸内海の島々が360度見渡せる絶景スポットとしても知られ、四国霊場84番屋島寺と合わせて参拝・観光する来訪者が年間多く訪れる高松の名所。
由緒
屋島は瀬戸内海に突き出た溶岩台地で、古くから海上交通の要衝として知られていた。平安時代末期、治承・寿永の乱(源平合戦)の中で、平家は元暦元年(1184年)に摂津一ノ谷の戦いで敗れた後、瀬戸内海支配の拠点として屋島に陣を構えた。元暦2年(1185年)2月、源義経は少数の軍勢を率いて嵐の中を阿波に渡り、陸路から平家の背後を突く奇襲を敢行した。この「屋島の戦い」において、平家水軍は義経の機動戦術の前に敗走を余儀なくされた。戦いの最中、平家方が船上に掲げた扇を那須与一が弓で射抜いた「扇の的」の逸話は、『平家物語』に記され後世に広く伝わる。敗れた平家は屋島を去り、同年3月の壇ノ浦の戦いで滅亡した。中世以…
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関連する歴史的事件
1

1185 年
屋島の戦い
1185年2月、源義経が讃岐国屋島(現在の香川県高松市)の平氏の本拠を急襲した合戦。嵐の海を強行軍した義経軍は陸側から屋島の平氏陣営を急襲し、平氏を海上へ追い立てた。この戦いで有名なのが「扇の的」のエピソードで、平氏が和舟に扇を立て競射を求めてきたのに対し、那須与一がこれを見事に射落とした場面は「平家物語」の名場面として名高い。平氏はさらに西へ退き、最後の決戦の地・壇ノ浦へと追い詰められた。義経の電撃的用兵が平氏を瀬戸内から駆逐した合戦である。
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ゆかりの人物
2

那須与一
扇の的の名射手
創建時 16歳
元暦2年(1185年)2月、屋島の戦いの最中、平家方の船が那須与一(1169?-1232?)に扇の的を射るよう挑発した。与一は源義経の命を受け、65メートルほどの距離から弓を絞ると、波に揺れる船上の扇の要(かなめ)を見事射抜いた。この「扇の的」の場面は平家物語の中でも最も美しい名場面として語り継がれており、那須与一は日本史上最も有名な弓の名手として後世に名を残した。扇が海に落ちると源平の双方から歓声があがり、平家方の踊り手が舞い始めたが、与一はその踊り手も続けて射倒したと伝わる。
平教経
平家最強の猛将
創建時 25歳
屋島の戦い(1185年2月)で平家最強の猛将・平教経(1160-1185)は、義経の忠臣・佐藤継信を船上から弓で射倒す武勇を見せた。継信は義経を庇って矢を受け、戦場で絶命した。怒った義経が教経を追いかけようとすると、教経は「来い」と一対一の決闘を誘う場面は平家物語の屈指の名場面である。この戦いで平家最強の弓手と源氏の総大将が激突するという圧倒的な緊張感が描かれ、教経の武名は源平双方に轟いた。那須与一の「扇の的」とともに、屋島の戦いを彩る最も印象的なエピソードのひとつに数えられる。
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