[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
寂光院
京都府
壇ノ浦後に建礼門院が隠棲した大原の尼寺、後白河法皇「大原御幸」の舞台として平家物語に描かれた霊地
創建
594 年
種別
寺院
参拝済
行きたい
アクセス
京都バス「大原」下車徒歩約15分
京都府京都市左京区大原草生町676
Google Map で開く ↗
基本情報
寺院
創建 594
1432年目
御祭神・御本尊
宗派
天台宗
概要
寂光院は天保14年(594年)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建したと伝わる天台宗の尼寺で、大原の里にひっそりと佇む。『平家物語』で壇ノ浦の戦いの後に建礼門院徳子が隠棲した地として知られ、後白河法皇が訪ねた「大原御幸」の舞台である。本尊の地蔵菩薩像は2000年の火災で焼損したが復元され、旧本尊も収蔵庫に安置されている。山門前の石段と苔むした参道は四季を通じて趣深く、特に紅葉と苔の共演が美しい。建礼門院の墓とされる大原西陵も近くにある。京都バス「大原」下車徒歩約15分に位置する。
由緒
寂光院は推古天皇2年(594年)、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建したと伝わる天台宗の尼寺である。当初は四箇院の一つとして建立されたとされ、大原の山里に静かにその歴史を刻んできた。中世に入ると、寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後、高倉天皇の中宮であった建礼門院徳子がこの地に入寺し、終生尼僧として余生を送った。翌文治元年(1185年)秋には後白河法皇が建礼門院を訪ねる「大原御幸」が行われ、『平家物語』に詳しく記される。建礼門院はその後も当地で没したとされ、陵墓は近隣の大原西陵に治定されている。近世以降は天台宗寺院として法灯を継ぎ、尼寺の伝統を守り続けた。平成12年…
もっと読む
ご利益
安産・子授け
厄除け・災難除け
延命長寿
極楽往生
安産祈願・子授け・子育て守護。神功皇后や木花咲耶姫命、水天宮・鬼子母神などに由来。
御祭神「地蔵菩薩」のご神徳に由来

ゆかりの人物
3

平清盛
平家の棟梁・太政大臣
寂光院は、平清盛の娘で高倉天皇の中宮となった建礼門院徳子が隠棲した寺である。1185年の壇ノ浦の戦いで清盛が築いた平家一門が滅亡した後、徳子はここで出家生活を送り、後白河法皇の「大原御幸」を受けた。清盛の栄華と平家の没落を最も象徴する地である。
聖徳太子
十七条憲法の聖人
創建時 20歳
寂光院は天保14年(594年)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建したと伝わる天台宗の尼寺で、大原の里にひっそりと佇む。
後白河法皇
日本第一の大天狗
文治元年(1185年)秋、後白河法皇(1127-1192)は壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した後に大原に隠棲していた建礼門院徳子(高倉天皇の中宮・安徳天皇の生母)を訪ねるために寂光院を訪れた。これが『平家物語』の「大原御幸」と呼ばれる場面で、法皇が建礼門院の粗末な庵に来訪し、かつて栄華を誇った平家一門の滅亡を嘆き合ったという深く哀切な物語である。後白河は平家と源氏の双方を巧みに操って生き延びた「天下第一の大天狗」だったが、この訪問は国を揺るがした権力闘争の末に生まれた人間としての痛切な共感を伝える場面として、平家物語の最も印象的な場面の一つとなっている。
みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
御朱印
まだ御朱印の投稿がありません
参拝案内
参拝時間
拝観時間: 通常期(3月1日〜11月30日)9:00〜17:00、冬季(12月1日〜12月31日)9:00〜16:30、正月10:00〜16:00、1月4日〜2月28日9:00〜16:30。
拝観料
拝観料: 大人・高校生600円、中学生350円、小学生100円。
2026-07-17時点の情報です。変更される場合があります。
情報を提案する
位置のずれ / 由緒 / 参拝時間 / アクセス / 設備 / 注意事項 などを提案できます
事実と違う内容を報告
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
アプリで見る
アプリで巡礼を楽しむ
アプリで見る