比叡山延暦寺は、延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院を開いたことに始まり、平安時代を通じて天台宗の総本山として隆盛を極めた。中世には僧兵集団を擁し、朝廷・幕府に対して強大な宗教的・政治的影響力を持つに至った。戦国時代、延暦寺は近江の浅井氏・越前の朝倉氏と結んで織田信長に対抗したとされる。これに怒った信長は元亀2年(1571年)9月、大軍を率いて比叡山に侵攻し、全山を焼き討ちにした。根本中堂をはじめとする堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰し、僧侶・学僧・女性・子供に至るまで多数が殺害されたと伝わる。この焼き討ちは当時の人々に深刻な衝撃を与え、信長の宗教権力への苛烈な挑戦を示す象徴的事件として記録され…