御所ヶ谷神籠石は、大野城・基肄城のように『日本書紀』に築城の記録が残る山城とは異なり、文献に記載のない「神籠石系山城」に分類される。発掘調査の結果、白村江の戦い(663年)での敗北後、北部九州の防衛強化の一環として7世紀後半頃に築かれたと考えられている。城域は逆三角形状に広がり、確認された城門は中門・東門・第二東門・第二南門・南門・第二西門・西門の7カ所。中でも中門の石塁は上段5m・下段2.5mの二段構造で高さ7m超、全長18mにおよび、当時の石工技術の高さを今に伝える。土塁には中国・朝鮮半島由来の版築技法が用いられ、赤土と白土を交互に突き固めた層構造が確認されている。城内には景行天皇の熊襲征…