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石川県
Toku
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大聖寺城跡
石川県
石川県加賀市に所在する中世・近世の城跡
創建
1500 年
種別
城
参拝済
行きたい
アクセス
JR大聖寺駅から徒歩約20分
石川県加賀市大聖寺錦町地内
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基本情報
城
創建 1500年
526年目
概要
石川県加賀市に所在する中世・近世の城跡。加賀国の南端に位置し、越前(福井県)との境目を守る要衝の地に築かれた。戦国時代には柴田勝家の配下が城主を務め、小松城とともに加賀南部防衛の拠点となった。関ヶ原の戦い直前の慶長5年(1600年)には前田利長と石田三成方の山口宗永が激突した「大聖寺の戦い」の舞台となり、山口宗永は城と運命を共にした。江戸時代には廃城となり現在は錦城山公園として整備された市民の憩いの場。当時の石垣の一部が遺構として残る歴史の地。
由緒
室町時代に一向一揆の拠点として利用されていたとも伝わる。織田信長が加賀を平定した後、柴田勝家の配下が城主を務めた。豊臣時代には山口宗永が城主となり、関ヶ原の戦い(1600年)の直前、前田利長の軍に攻め落とされた。江戸時代には廃城となり、現在は山の輪郭と石垣の一部が残る。
人
ゆかりの人物
— 2
織田信長
天下布武の革命児
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織田信長は加賀国を平定し、一向一揆の拠点であったこの地を重臣・柴田勝家に統治させた。大聖寺城には勝家配下の武将が城主として置かれ、信長の勢力下に組み込まれた。以後、越前との国境を守る要衝として機能し、信長による加賀支配の広がりを物語る城跡となっている。
前田利長
加賀百万石の二代目
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慶長5年(1600年)8月3日、関ヶ原の戦いの前哨戦として前田利長は約2万の軍勢で大聖寺城を攻撃した。石田三成方についていた城主・山口宗永はわずか500余の兵で籠城したが同日夕刻に落城、宗永・修弘父子は自刃した。この勝利で利長は東軍への忠誠を示し、加賀百万石の礎を固めた。
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