鎌倉市大町に位置する時宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。創建年代は不詳だが、当初は真言宗の能成寺と称した。弘安5年(1282年)、能成寺の住僧・公忍が時宗の開祖・一遍上人に弟子入りして覚阿(かくあ)と改名し、寺を時宗に改宗して「別願寺」と寺号を改めたのが現在の寺の始まりとされる。室町時代初期には鎌倉公方足利氏の菩提寺となり、関東における時宗寺院の中でも有力な地位を占めた。境内には公方家の供養塔とも伝わる宝篋印塔(足利持氏供養塔とされ県指定重要文化財)が立ち、室町期の石造美術として高く評価されている。境内は静かで観光客も少なく、初夏には藤の花が美しく咲くことでも知られる。鎌倉駅東口から徒歩約15分、安養院や上行寺など大町の寺社巡りの一つとして訪れたい。
別願寺の前身は真言宗の能成寺で、創建年代は不詳。弘安5年(1282年)、能成寺の住僧・公忍が遊行中の一遍上人に出会って弟子入りし、覚阿と改名して寺を時宗に改めた。これに伴い寺号も「別願寺」と改められ、現在の寺の始まりとなった。鎌倉時代後期から室町時代にかけて時宗の鎌倉における拠点の一つとして発展し、特に室町時代初期には鎌倉公方足利氏歴代の帰依を受け、公方家の菩提寺として隆盛した。永享の乱(1438-1439年)で第4代鎌倉公方・足利持氏が幕府軍に敗れて自刃した後、その霊を弔ったとも伝わり、境内に立つ宝篋印塔は持氏の供養塔として伝承され、神奈川県指定重要文化財となっている。塔は高さ約3.2mの大…