慶長8年(1603)、良然和尚が会津藩主・蒲生秀行から七日町の土地を賜り開山した浄土宗の寺院。山号は普門山。戊辰戦争(1868)の折、会津城下の攻防で命を落とした会津藩士ら約1,300名がこの寺域に埋葬され、「東軍墓地」として長く守られてきた。新政府軍は当初、賊軍の死者として埋葬を禁じていたが、当寺はひそかに遺体を収容し続けた。明治初年、廃城・解体された鶴ヶ城の御三階(本丸に聳えた三層の楼閣)が境内に移築され、仮本堂として使われた。また、新選組三番隊組長・斎藤一(藤田五郎)が晩年に会津ゆかりの地として当寺に眠ることを望み、大正4年(1915)の没後、境内に墓が設けられた。会津藩士の慰霊と斎藤一…