1384年(至徳元年)、蘆名氏の家臣・葦名直盛が黒川城を築いたのが鶴ヶ城の前身とされる。蘆名氏はその後、長きにわたり会津を支配したが、1589年(天正17年)の摺上原の戦いで伊達政宗に敗れ、政宗が城を手中に収めた。しかし豊臣秀吉による奥州仕置によって政宗は会津を没収され、1590年に蒲生氏郷が入城。氏郷は城を大規模に改修し、城下町の整備を進めるとともに、城の名を「鶴ヶ城」と改めたとされる。1598年に氏郷の後を受けて上杉景勝が入城し、さらに関ヶ原の戦い後は加藤嘉明の所領となった。江戸時代初期に保科正之が入封し、以後は会津松平家の居城として幕末まで続いた。1868年(慶応4年)の戊辰戦争では旧幕…