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安達盛長邸跡
神奈川県
源頼朝が伊豆配流の頃から20年支えた腹心・安達盛長の甘縄の屋敷跡——鎌倉殿の13人の一人で北条時宗の誕生地ともなった名家の旧址
創建
1186 年
種別
史跡
参拝済
行きたい
アクセス
江ノ島電鉄 長谷駅から徒歩約5分(甘縄神明宮参道脇)
神奈川県鎌倉市長谷1丁目(甘縄神明宮参道脇)
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基本情報
史跡
創建 1186
840年目
概要
神奈川県鎌倉市長谷1丁目、甘縄神明宮の参道脇に立つ史跡碑。大正14年3月(1925年)に鎌倉町青年団が建立した石碑が、この地にあった安達盛長(1135〜1200年)の邸宅跡を伝える。 安達盛長は「藤九郎」の通名で知られる源頼朝の最古参の腹心で、頼朝が平治の乱後に伊豆蛭ヶ小島へ流されて以来、約20年にわたって身近に仕えた。治承4年(1180年)の挙兵に際しては使者として相模・下総を奔り、千葉常胤を頼朝方に引き込む大役を果たした。文治5年(1189年)の奥州合戦では陸奥国安達郡を給わり「安達」の苗字の由来ともなった。頼朝の没後に十三人の合議制の一員に選ばれ、正治2年(1200年)4月に頼朝の後を追うように没した。 『吾妻鏡』は「頼朝が特段の用がなくても盛長の屋敷をしばしば訪れた」と記録し、文治2年(1186年)正月二日には頼朝・北条政子夫妻が雪中参詣の折にこの邸を訪れた場面を伝える。 ま…
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由緒
安達盛長は保延元年(1135年)生まれ、武蔵国足立郡ないし三河国宝飯郡を出自とするとされる。平治元年(1159年)の平治の乱で源義朝が討たれた後、その子・源頼朝が伊豆国蛭ヶ小島に配流されると、頼朝の乳母・比企尼の縁戚である盛長も従い、以来約20年の配流生活をともにした。 治承4年(1180年)8月、頼朝が挙兵すると盛長は真っ先に行動し、使者として相模・下総を巡って千葉常胤を説得した。石橋山の戦い(1180年8月)で頼朝方が敗れると、扁舟に乗り頼朝とともに安房国へ逃れた。その後の頼朝の関東制圧・鎌倉入府を支え、元暦元年(1184年)頃には上野国の奉行人に任じられた。 文治2年(1186年)正…
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ゆかりの人物
3

源頼朝
鎌倉幕府初代将軍
創建時 39歳
安達盛長は頼朝が伊豆配流の頃から20年近く身近に仕えた最古参の側近である。この甘縄の邸を頼朝はしばしば訪れ(『吾妻鏡』)、文治2年(1186年)正月二日には北条政子とともに雪の中を甘縄神明宮に詣でた帰路にも盛長邸に立ち寄った。頼朝が直接邸を訪れた記録が複数残る御家人は他に例がなく、この邸こそが頼朝にとって最も心安い幕府外の場所の一つであった。
北条時宗
八代執権・元寇
建長3年(1251年)5月15日、北条時宗はこの安達氏の甘縄邸で誕生した。母は安達盛長の系統にあたる松下禅尼で、父は第7代執権・北条政村の弟・北条時頼である。外祖父・安達景盛の系統がこの地に邸を維持していたことが時宗誕生の地となり、隣接する甘縄神明神社の境内には「北条時宗公産湯の井」が今も残る。元寇を撃退した英主の生命はこの甘縄の地から始まった。
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