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Toku 編集部
武時
たけとき
武家史担当
史実か、否か。それだけだ
プロフィール
42歳。日本中世史の非常勤講師として複数の大学で教えながら、歴史雑誌や専門書のテクニカルライター・ファクトチェッカーとして執筆活動を続ける。博士課程まで進むもアカデミアのポストが空かず、私生活は質素そのもの。余暇の予算はすべて古書の購入と全国の城郭・合戦場跡へのフィールドワークに消える。ネット上に溢れる「大河ドラマのイメージだけで書かれた、嘘だらけの歴史まとめ記事」やユーザー投稿型サイトの薄い日記に憤りを感じており、「一般層が目にする Web にこそ、一次史料に基づいた本物の歴史の錨を下ろさねばならない」という義務感に近い情熱で記事を書いている。文体は冷徹な論文調。感情表現を一切交えず、元号と西暦を必ず併記し、『吾妻鏡』『信長公記』など一次史料の出典を明示する。担当領域は鎌倉から江戸までの武家政権史・合戦・城郭・武家文化。
武時が書いた記事
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梶原山公園と梶原景時の最期——正治二年(1200年)に駿河国で滅んだ頼朝の懐刀
正治二年(1200年)正月、鎌倉を追放された梶原景時一族が駿河国梶原山で滅んだ。「鎌倉殿の十三人」の一員として頼朝に重用された景時が、頼朝没後の権力闘争に敗れた
衣笠城と三浦義明の討死——八十九歳の老将が頼朝の鎌倉入りを可能にした忠義の自己犠牲
治承四年(1180年)、三浦義明が八十九歳で討死した衣笠城。息子・義澄らを頼朝のもとへ逃がし自ら殿を務めた老将の決断は、幕府創業の連鎖を保つ重要な節点であった。
怒田城跡と三浦義澄——衣笠落城後の海路脱出が幕府創業を支えた治承四年の決断
治承四年(1180年)、衣笠城が陥落した際に三浦義澄が退き、海路で安房の頼朝のもとへ脱出した水軍拠点・怒田城跡。「舟倉」という地名にその故事が今も残る。三浦一族
問注所旧蹟と三善康信——武家司法の原点を示す御成町の石碑と初代執事の実像
元暦元年(1184年)に源頼朝が設置した鎌倉幕府の訴訟機関・問注所。初代執事・三善康信は「鎌倉殿の十三人」の一員で、京都の吏僚文化を東国にもたらした法制度の基盤
蛇苦止堂と比企の乱——若狭局の怨霊が示す北条権力暴力の記憶
建仁三年(1203年)の比企の乱で井戸に身を投じた若狭局の霊を鎮める妙本寺の鎮守・蛇苦止堂。北条義時が主導した比企一族の殲滅と、日蓮が鎮めたとされる蛇身の怨霊伝
畠山重忠と二俣川の合戦——坂東武者の鑑が散った元久二年の謀略
元久二年(1205年)六月、北条時政の謀略により武蔵国二俣川で討たれた畠山重忠。清廉潔白な武将として「坂東武者の鑑」と称えられた重忠の生涯と最期、そして事件の政
称名寺と金沢文庫——北条実時が築いた知と祈りの聖地・横浜金沢
正嘉2年(1258年)に北条実時が開いた真言律宗の古刹。横浜唯一の国宝・仁王門、復元された浄土式庭園、隣接する金沢文庫を擁し、鎌倉武士の「知と祈り」が凝縮した横
豊臣秀長と豊臣兄弟——天下統一を支えた弟と一族ゆかりの地を辿る
2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主役・豊臣秀長は、兄・秀吉の天下統一を兵站と調略で支えた「補佐役の天才」。秀長の死が招いた利休切腹・秀次事件・朝鮮出兵
北条高時 闘犬の汚名と泥牛庵が今に伝える鎌倉幕府最後の得宗
鎌倉幕府最後の得宗・北条高時は「闘犬に耽る暗愚な執権」として後世に刻まれてきた。しかしその評価は軍記物の描写に過ぎない。正中二年(1325年)に禅刹・泥牛庵を創
龍華寺(金沢八景)と徳川家康 五石の朱印地と龍源寺の縁起
横浜市金沢区の真言宗御室派・龍華寺は、天正十九年(1591年)に徳川家康が金沢遊覧の途次に宿泊し、寺領五石の朱印地を寄進したと伝わる古刹である。「龍源寺」誤奏上
瀬戸神社と徳川家康 頼朝を崇敬した将軍が守り続けた金沢の古社
横浜市金沢区の瀬戸神社は、治承四年(1180年)に源頼朝が創建した海上交通の守護社だ。天正十八年(1590年)の関東入府後、徳川家康はこの地を訪れ、頼朝崇敬の念
函館五稜郭——戊辰戦争最後の戦いと蝦夷共和国の史跡
戊辰戦争の終結地・五稜郭と、榎本武揚らが樹立した蝦夷共和国の実態を一次史料に基づいて解説。箱館戦争の経緯と函館八幡宮など周辺史跡も論じる。
会津・戊辰戦争——白虎隊と鶴ヶ城に刻まれた幕末の悲劇
戊辰戦争における会津藩の抵抗を、飯盛山(白虎隊)・さざえ堂・阿弥陀寺など史跡を通じて一次史料に基づいて解説。藩主松平容保の政治的立場と開城の経緯も論じる。
真田一族と上田城——二度の徳川撃退を刻む名城の史跡
真田昌幸・幸村父子の上田城と、徳川軍を二度退けた攻防戦の経緯を一次史料に基づいて解説。善光寺・諏訪大社など信濃の史跡と真田氏の関係も論じる。
日光東照宮と家康神格化——東照大権現を祀る霊地の成立
徳川家康を東照大権現として祀る日光東照宮の造営経緯と、家康神格化の政治的・宗教的背景を一次史料に基づいて解説。輪王寺・二荒山神社との複合的な霊地の構造も論じる。
大阪城と豊臣の天下——太閤秀吉の築城と落城の史跡
豊臣秀吉が築いた大阪城の史的経緯と、四天王寺・住吉大社など城下の史跡を一次史料に基づいて解説。大坂の陣から徳川による再建まで、権力交代の痕跡を辿る。
鎌倉武士の墓所巡り——頼朝・義時・政子の眠る地
源頼朝・北条義時・北条政子ら鎌倉幕府を築いた武士の墓所を史料に基づいて解説。各墓所の位置付けと鎌倉武家政権の権力構造の関係を読み解く。
名古屋城と尾張徳川——金鯱の天守と城下町の史跡
徳川御三家筆頭・尾張徳川家が統治した名古屋城と城下の主要史跡を、一次史料に基づいて辿る。金鯱の象徴的意味から大須観音・熱田神宮の政治的位置付けまで解説する。
仙台・伊達政宗——瑞鳳殿と青葉城の独眼竜史跡
「独眼竜」の異名をもつ伊達政宗は、仙台藩62万石の藩祖として仙台城(青葉城)を築き、仙台の都市基盤を整えた。政宗の霊廟・瑞鳳殿と青葉城跡を中心に、仙台に残る史跡
桶狭間古戦場——信長の電撃戦の現場を辿る
永禄三年(1560年)五月、尾張の小大名・織田信長が大軍を率いた今川義元を桶狭間で奇襲し討ち取った。この戦いは信長の天下布武への起点となった。熱田神宮・名古屋城
壇ノ浦と平家滅亡——源平合戦終焉の地を訪ねる
元暦二年(1185年)三月二十四日、関門海峡の壇ノ浦において平家は源氏との決戦に敗れ滅亡した。安徳天皇を祀る赤間神宮を中心に、下関・山口に残る平家終焉の史跡五カ
関ヶ原の戦いの地——東西両軍の陣跡を歩く
慶長五年(1600年)九月十五日に決戦が行われた関ヶ原は、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突した天下分け目の戦場である。古戦場跡・各武将の陣跡・岐阜城
上杉謙信と春日山城——「義」の武将の本拠を歩く
「義」を旗印に戦い続けた上杉謙信は、越後国(現・新潟県)の春日山城を本拠とした。川中島五度の激戦、関東管領職の継承、毘沙門天への帰依——謙信の生涯を春日山城跡・
武田信玄ゆかりの甲府——躑躅ヶ崎館と恵林寺を歩く
戦国最強と称された武田信玄は、甲斐国(現在の山梨県)を本拠とし、躑躅ヶ崎館(現・武田神社)を居城とした。本記事では甲府盆地に残る信玄ゆかりの五つの史跡を通じて、
二条城と徳川の京都支配——大政奉還の舞台を歩く
徳川家康が慶長八年(1603年)に築いた二条城は、江戸幕府の京都における権力の象徴であった。慶応三年(1867年)の大政奉還まで、265年間にわたる徳川支配の始
日本100名城を巡る——縄張様式と遺構の見方を解説する
公益財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」から特に重要な城郭を地域別・縄張様式別に整理し、本丸・二の丸・曲輪・堀切・虎口・天守の見方を解説する。単なる
豊臣秀吉と大阪——出世の軌跡と天下統一の遺構を歩く
天文六年(1537年)頃に尾張国中村に生まれた豊臣秀吉が、天下関白として日本を統一するまでの軌跡を、大阪城・大徳寺・伏見桃山・北野天満宮という史跡で辿る。『太閤
織田信長ゆかりの史跡——岐阜・安土・本能寺の道を辿る
天下統一を目前に本能寺の変(天正十年・1582年)で斃れた織田信長の足跡を、岐阜城・安土城跡・建勲神社・本能寺という四つの史跡で辿る。『信長公記』を軸に一次史料
徳川家康の生涯を辿る——岡崎・駿府・日光の史跡巡礼
天文十一年(1542年)の誕生から元和二年(1616年)の薨去まで、徳川家康74年の生涯を岡崎城・浜松城・駿府城・久能山東照宮・日光東照宮という生誕地・居城・祭
源頼朝ゆかりの聖地——伊豆配流地から鎌倉への道を辿る
源頼朝が平治元年(1159年)に父義朝を失い、永暦元年(1160年)に伊豆へ配流されてから、治承四年(1180年)の挙兵・鎌倉入りまでの20年を史跡で辿る。蛭ヶ
江戸城下町の徳川史跡——千代田から港区の家康ゆかりの地
慶長八年(1603年)の江戸幕府開設から明治維新まで265年にわたって続いた徳川政権の遺構を、千代田区・港区を中心に巡る。江戸城跡・増上寺・寛永寺・日枝神社など
鎌倉幕府の史跡完全ガイド——頼朝から北条得宗家滅亡まで
鎌倉市内に点在する幕府関連史跡を、源頼朝の挙兵(治承四年・1180年)から北条得宗家の滅亡(元弘三年・1333年)まで時系列で辿る。大倉幕府跡・鶴岡八幡宮・寿福
新田義貞の鎌倉攻め——稲村ヶ崎と東勝寺炎上
元弘三年(1333年)五月、新田義貞は三方同時侵攻で鎌倉幕府を滅ぼした。黄金の太刀を海に投じたという稲村ヶ崎の伝説の真偽、巨福呂坂・極楽寺坂・化粧坂の三ルートの
鎌倉幕府の滅亡——元弘の変・新田義貞が辿った史跡参拝ガイド
1333年、後醍醐天皇の倒幕計画(元弘の変)に呼応した新田義貞が鎌倉を攻め、150年続いた鎌倉幕府は滅亡した。その経緯と鎌倉に残るゆかりの史跡を参拝ルートととも
鎌倉・江ノ島七福神めぐり——8スポットの順番・見どころを完全解説
北鎌倉の浄智寺から江ノ島まで8社寺を巡る鎌倉・江ノ島七福神めぐりの全容を解説。七福神と対応する寺社の一覧、効率的な巡拝順序、所要時間と拝観料、御朱印・色紙の受け
源頼朝と鎌倉開府——伊豆流人が開いた武家政権の史跡参拝ガイド
伊豆に20年流された源頼朝が1180年に挙兵し、わずか12年で征夷大将軍となって武家政権を樹立した歴史的意義と、鎌倉に残るゆかりの史跡を参拝ルートとともに徹底解
奈良・東大寺と大仏参拝ガイド:奈良時代の信仰と史跡を解説
聖武天皇が国家鎮護を祈って743年に発願し752年に開眼供養を行った東大寺大仏は奈良時代の国家仏教の頂点。世界最大の木造建築・大仏殿と高さ14.98メートルの盧
徳川家康と日光東照宮:江戸幕府開祖の史跡を訪ねる参拝ガイド
徳川家康は関ヶ原の戦いに勝利して1603年に江戸幕府を開き、265年続く太平の世を設計した戦国最大の政治家。世界遺産・日光東照宮の陽明門と奥宮家康廟、輪王寺三仏
清水寺参拝ガイド:音羽の滝・舞台と地主神社の縁結び完全版
京都・音羽山に建つ清水寺は世界遺産に登録された京都屈指の名刹。778年の開創から江戸時代の再建まで1200年の歴史、「清水の舞台から飛び降りる」の語源、音羽の滝
土佐・阿波完全ガイド——四国の南海道流刑地と土御門院・源希義
四国南部の旧国名・土佐(高知県)と阿波(徳島県)は、土御門院(1221年・自ら望んだ)と源希義(1160年・頼朝の弟)を受け入れた南海道の流刑地。律令制の遠流地
奄美完全ガイド——西郷を生んだ南の島と薩摩藩流刑文化
鹿児島県南部・奄美群島は、1609年薩摩藩の琉球侵攻以来、サトウキビ栽培と政治犯流刑地として独自の文化を持った。西郷隆盛が3年(奄美)+2年(沖永良部)を過ごし
八丈島完全ガイド——江戸期最大の流刑地、宇喜多秀家以来の260年
東京から南へ約290km・伊豆諸島南端の八丈島は、慶長11年(1606年)の宇喜多秀家以来260年で約1900人を流した江戸期最大の流刑地。流人と地元住民の婚姻
鬼界ヶ島(薩摩硫黄島)完全ガイド——平家政権の流刑島と俊寛の悲劇
鹿児島県薩摩半島沖の薩摩硫黄島(三島村)は、俊寛らが流された「鬼界ヶ島」の最有力地。火山活動の活発な絶海の孤島で、平家政権が政治犯を送り込んだ短命だが文学的に永
大宰府完全ガイド——西海の左遷地、菅原道真と藤原氏排除の系譜
九州・福岡県太宰府市の古代政庁・大宰府は、菅原道真(901年)・源高明(969年)・藤原伊周(996年)など藤原氏排除の系譜の被害者が左遷された西海の特殊地。流
越後完全ガイド——親鸞五年で浄土真宗が生まれた流刑の北方
新潟県の旧国名・越後は、承元の法難(1207年)で親鸞が配流された地。五年の流刑中に妻帯と肉食を実践、後の浄土真宗の核となる「在家信仰」を確立した日本仏教史の決
讃岐完全ガイド——崇徳院の怨霊と法然の念仏が交わる流刑地
香川県の旧国名・讃岐は、保元の乱で敗れた崇徳院(1156年)と浄土宗の祖・法然(1207年)を受け入れた、性格を全く異にする二人の流人を呑み込んだ流刑地。怨霊伝
伊豆完全ガイド——頼朝が興った流人の地と日本中世の出発点
静岡県伊豆半島は古代から「遠流」地で、橘逸勢(842年)・源頼朝(1160年)・文覚(1173年頃)・日蓮(1261年)が流された。頼朝20年の流刑から鎌倉幕府
佐渡完全ガイド——文化人たちが残した離島の流刑文化史
新潟県沖の佐渡島は、順徳院(1221年)・日蓮(1271年)・世阿弥(1434年)など多彩な文化人を流した「文化的厚みを持つ流刑地」。江戸期は金山労働の水替人足
隠岐完全ガイド——王者たちが流された孤島の千年流刑史
日本海に浮かぶ隠岐諸島は、養老6年(722年)の律令制で「遠流」に指定されて以来、小野篁(838年)・後鳥羽院(1221年)・後醍醐天皇(1332年)など千年以
高野長英完全ガイド——蛮社の獄・脱獄・自害、幕末蘭学者の波乱
蘭学者として活動した高野長英(1804-1850)が『戊戌夢物語』で異国船打払令を批判して蛮社の獄(1839年)で永牢、伝馬町大火の混乱で脱獄、硝酸で顔を焼いて
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